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 ハティ・ラグナの夜


 生物はすべからく子孫を残すために性交する。だから長寿の生物は発情期も子供も少なく、短命だとその逆になる。
 ならばこの、想像もつかない時間を生きてきて、また生きてゆくだろう人、の形をした青年は、その手の欲求が限りなく薄いはずなのではないだろうか。
 体中の毛細血管を神経を蟻が這って噛み付いて熱く灼いて追い立ててゆくような感覚に脳髄までなぶられながら、ぼうとBは考えた。もはや考えている、という意識すらなかったかもしれない。とろとろにとろけてたゆたう自我が、ふと、律動の狭間に引き絞られたように戻ってくる。その刹那に、ぷかりと泡のように浮かび上がり消えてゆく疑問だった。
 そも生物とは有限であるから有限を越えるすべとして自分のあったあかしとして、己が血脈を継ぐ次代を生み出すのだから、その境界などあってないような彼に、やはり性衝動などというものはひどく似つかわしくないものだと思った。形のよい眉を寄せ、ひやとした肌を僅かに上気させ汗までも伝う、いかにも、な生々しさを纏うさまなど悪い夢のように思える。飄々と笑いながらもその、薄緑の目の奥に凍りついた時間を知らぬとでも思ったか。いやそんなことはあるまい。この人は、ユーゼフは見せ方さえも計算し気付かされたこちらの動揺さえもくつくつと笑って楽しむ性質の悪い相手であったから。
 は、とBは鋭く息を吐いた。臓腑から駆け上ってきた灼熱は大気となってなお熱に膨らみ続け、喉を覆う薄い皮を焼け焦がせるような心持がした。月が蒼い。金の髪にきらきらと降り注ぐ青い光が、ぱらぱら弾け零れ落ちるのをなんとはなく掬い上げようとして霧散した。虚空を掻いた指は荒々しささえ感じる仕草で大きな手に捕われ、筋肉が皮膚一枚の下で弾むからだへと貼り付けられた。続く衝撃に縋りついた自分の動きに、一滴、つうと額から滴り落ちた汗を赤い舌で舐め取ったそのひとは至極嬉しげに微笑んだものだから、噎せ返るようなまさしく妖艶、と相反する無邪気さえ思わせる顔にBの脳髄はぎちぎちと音を立てて燃えた。燃えて燃えて焦げてしまいそうだと思った。ああ、あ、ままならぬ舌をもつれさせてBは呼ぼうとしたが呼吸に喘いだだけで終わった。獣のような肢体に組み敷かれている。だがこのひとは獣ではなく────Bは訳も分からず首を打ち振った。打ち付けられる欲情は誰のものだ。かれの、ものか。最も近いように見せかけながら彼は背中合わせであったはずだ。ならば何故このひとは自分を抱くのだろう。快楽か。肉体の快楽はだが心の悦楽を上回りはしない。人のおろかな営みを、あがく生き様を見て、見ているだけの、違う世界、の。ならば────。
「B君」
 ユーゼフは上がる呼吸を整えようともせず笑った。
「好きだよ、B君」
 そのよつの音にこめられた意味を、はかりかねてBはつと息を止め、ああ、と涙を零した。
「ユーゼ、フ、さまっ」
 悲鳴のようにあふれ出した名が髄まで染みとおり、Bは破願したそのひとを思い切り抱いた。


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